元・甲子園優勝投手の訃報

甲子園をかけて各地で高校野球の熱い戦いが繰り広げられている最中で球界に訃報が走りました。

昭和59年の夏の甲子園で取手二高のエースとして桑田・清原のKKコンビ擁するPL学園を倒して、茨城県に初めて真紅の大優勝旗を持ち帰った石田文樹さんが直腸がんで死去。
41歳の若さでした・・・。
昭和59年、夏の甲子園で優勝した茨城・取手二高のエースで、元横浜投手の石田文樹(いしだ・ふみき)氏が15日、直腸がんのため死去した。41歳。通夜は17日午後7時、葬儀・告別式は18日午前10時、横浜市港北区菊名7の10の8、新横浜奉斎殿で。喪主は妻、寿美江(すみえ)さん。
石田氏は取手二高のエースとして決勝で桑田、清原を擁する大阪・PL学園と対戦。延長の末に下し、同校と木内幸男監督に初の全国優勝をもたらした。その後、日本石油を経てドラフト5位で平成元年、大洋(現横浜)入り。通算1勝0敗。平成6年に引退後は打撃投手を務めていた。現役の途中から登録名を大也(ともや)に変更した。(産経新聞)

自分も取手二高がPLに勝って優勝した時の事は今でも覚えているので、当然、石田さんの事も覚えていたのですが、先程見たスポーツニュースで聞いた時は信じられない気持ちでした。

当時の取手二高の監督は高校球界に名を残す名将・木内監督。
その木内監督の下で取手二高は昭和59年の甲子園で勝ち進んで決勝まで。
取手二高とPLの決勝戦は某動画サイトにも掲載されていますが、まさに死闘と呼ぶにふさわしい戦いだったと思います。
一応、添付しておきます。

1点リードのまま9回を迎えて、先頭打者にいきなり同点ホームランを打たれて、動揺したまま次の打者に死球を与えてしまい、最早、試合の流れはPLへ。
そこで木内監督は冷静さを失っていた石田さんから、次の左打者に対して左のワンポイントを起用。
このワンポイントリリーフでアウトを1つ取って、続く清原・桑田には石田さんを再びマウンドへ。
外野で頭を冷やした石田さんはKKコンビを力で討ち取り、延長戦の末にPLを倒して優勝投手に。
木内監督の采配も見事でしたが、それに応えた石田さんもエースとして見事だったと思います。

昨秋から常総学院の監督として現役復帰した木内監督ですが、まさか教え子が自分より先に亡くなるなんて、どのような心境なのでしょうか?

プロでは目立った活躍は出来なかったものの、横浜ベイスターズの打撃投手としてチームの裏方に徹していたのですね。
同じ木内監督の教え子である仁志選手も悲しみに暮れている事でしょう。
本当に41歳で亡くなるなんて早過ぎます。
最後に慎んでご冥福をお祈りいたします。

コチラの本に取手二vsPLの試合も掲載されています

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